人生のゴールと云えば幸せになる事と云うのであれば幸せというものとは一体なんなのか真剣に考えてみた。
友達などと話していてよく聞かれるであろう質問の一つに
『あなたが幸せを感じる時はいつですか?』
これは誰しも一度は聞かれたことがある質問だと思いますがこの質問に対して適した答えを持ち合わせていないのが僕である。
適した答えが見つからないのであって幸せが何なのか理解らないと言うほど僕は落ち込んでも病んでもいないのだが
「幸せだ!」
と思うことはありつつも
「これは幸せだったのか?」
と疑問を持つことが多いためであろう。
幸せとは何なのか
幸せとは何なのか、一瞬で過ぎ去ってしまうほどの儚いものなのか永遠に続く継続的なものなのか、それとも考え方なのか哲学なのか。
過去に起きた不幸な事でも物事のとらえかたによっては幸せだったと言えるのか、そもそも今健康でいられることに対して本当に幸せを感じていられているのか。それは怪我や病気をした時に気付かされるものであって怪我や病気をしない五体満足な状態でも生きてるだけで心から幸せと思えるようになるのだろうか。と心の中を幸せに対しての想いがぐるんぐるんと巡っているのです。
それこそ一般的には美味しいご飯を食べている時だとか寝ているときとか大好きな人と一緒にいる時なんかが多く見受けられる答えでありますね。それは1番答えやすいのかもしれないですし。
確かに美味しいご飯を食べている時は感動すら覚えるし舌が喜んでいるためにまたこの味を食したいという多幸感が訪れるのは理解らなくもない。
寝ているときというのは記憶が無いので幸せを感じるということは理解出来ない所であるが、多分眠くなって来てウトウトした時に感じるこのまま安らかに眠りに落ちる瞬間までの刹那を幸せとして感じているのだろう。
また好きな人と一緒にいる時は家族や恋人、友人なんかでもいいのだと思うが安心したり共同作業をしたりなどお互いがお互いを必要としていて自分の居場所だと認識できる点も幸せというのに大きい部分を占めているのではないかと思う。
実際に今感じたとこを書いてみて気付かされたものがひとつある。
幸せというのは【欲】を満たしている時に得られる感情なのではないかと。
美味しいご飯を食べている時は言わずもがな【食欲】を満たしていて
眠りに落ちる瞬間や寝ているときというのは【睡眠欲】
恋人などの好きな人といる時には【性欲】もでるだろうし安心を求めている時などには【安心欲】を、またお互いを認め合い支えあいながら生きているという事は【承認欲求】なども満たされているからこそ幸せと感じるのではなかろうか。
幸せを語るにあたり欲というものは必ず必要不可欠であり欲を満たしていくことが幸せとは何なのかを知るきっかけになるのではなかろうか。
欲求について
人は100%の確率で死に至ります。
ここまで確実な数字が出ているのであれば人生のゴールは死ぬ間際に自分の人生は幸せで悔いなどなかったと心から安らかに眠れるようになる事なのではないか。
その幸せという人生を歩むには色んな欲求を満たして行くことが必要と気づいたならば欲求というものを調べてどのような欲求があるのかを知り、自分の中へインプットしようと思いましたらとっておきのいいものを見つけました。
聞いた事ある人もいますが
【マズローの欲求5段階説】
ここでは深堀せずに簡単にだけ説明させて頂きます。
深く語るならそれだけでひとつのブログがかけてしまいますからね。
マズローという心理学者が唱えた説で「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物」だと仮定して人間の欲求を五段階に分けて理論づけました。
人間の欲求には五段階あり一つ下の欲求が満たされると次の上の欲求を満たそうとする基本的な考え方です。
まず一番下の欲求が
【生理的欲求】
食欲・睡眠欲・性欲などの生きていく上で必要不可欠な欲求です。
【安全欲求】
生理的欲求が満たされると現れる欲求です。
身の安全や不安や混乱からの回避などの防衛的態度としての欲求です。
【社会的欲求】
友人や家庭に受け入れられたい欲求です。
この欲求が満たされないと孤独を感じたり鬱になったりしてしまいます。
【承認欲求】
他人から認められたいと思う欲求で今までの外的要因ではなく内的要因な欲求になります。
こちらの欲求を妨害されると劣等感や無力感を感じます。
【自己実現欲求】
自分の世界観においてあるべき自分になりたいと願う欲求です。
この自己実現の欲求が満たされている人こそ自分らしく悔いのない人生を過ごせるのではないでしょうか。
より深く詳しく知りたい方は【マズローの欲求五段階】で調べてみてください。
欲求というものには段階がありひとつ満たされると次のステップへ移行していくことが分かりました。それはまるでピラミッドのようになっています。
自分に置き換えてみました。
生理的欲求は満たしているでしょう。好きなものを食べたりきちんと寝たりする最低限の生活はクリアしています。
安全欲求も自宅があり寒さや暑さなどの環境からも身を守れているので大丈夫でしょう。
社会的欲求は·····まだ満たされていないかもしれません。友人が少ないことやその友人に受け入れられているかどうかわからなくなる時もあり自信もって言えないことがあります。
承認欲求も満たされていないですね。自分という人間を認めて貰いたいというイメージと実際の自分がかけ離れている気がします。
自己実現欲求もまだまだ到達出来てないレベルですね。なりたい自分は思い浮かぶのにそこまで行動できてない自分が嫌いになる事も多く悔やしい思いばかりしています。
自分の立ち位置を振り返ってみたとしてまずは相手に受け入れて貰えるようになり社会的欲求を満たしてから承認欲求まで行く事が課題なのかと気付かされました。
性格は関係するのか
幸せを感じやすい性格や幸せを感じにくい性格などはあるのだろうか?
性格なのか考え方なのか分かりませんがポジティブな人やネガティブな人によって幸せの感じ方が変わってきそうなものですね。
荒木は『毎日がめちゃくちゃハッピー楽しい日々が待ってるぜ!』みたいなタイプでは無いことはブログの語り口調を見る限りおわかり頂けるかと思います。
そのような人の方が周りの人も楽しいだろうしブログの文面からも明るさがにじみ出てるんでしょうがなかなか上手くできないですね。
生活をしていて前向きに行こうとは思っていて何か嫌なことがあったとしてもすぐに切り替えは出来る方ですがそれでも全てが全て笑顔で対処できる人間では有りません。
常に笑顔で周りを明るくしている人こそ幸せな人であり皆に幸せを与えることの出来る人なのだなと尊敬しています。
なりたくてもなれない見えない壁が大きくそびえ立っているのですが。
ただそれでも下を向くより上を向く人生でありたいと思っているので少しづつポジティブに周りを明るく照らせられる人間になれるよう日々人間力を磨いていきたいものです。
人生のゴールを目指して
自分が死んだ時にどれ程の人が葬儀に参加してくれるかでその人が周りの人からいかに愛されてるか解るという事をぼくはるろうに剣心を読んでいた時に学びました。
今自分自身が交通事故などで死んだ時どれほどの人が葬式に来てくれるだろうか?
そりゃ沢山の人が悲しむほどの影響を与えられている人にはなりたいです。
が、しかし今死んだとしても自分の人生に全く後悔がない生き方をしているかどうかが大丈夫なのではないでしょうか。
他人事にしてしまいがちですが必ず寿命で死ぬ訳ではなく明日隕石が落ちて人生が終わるかも知れません。
その時に自分は幸せであったと自信持てるかどうかなのでしょう。
今自分自身が幸せを感じられてないのに悟ったように語るのはおかしな話かもしれませんがそれが真理なのかもしれません。
マラソンなら42.195kmにゴールは見えているものですが人生のゴールはいつやって来るか解りません。
それならそのゴールがいつ来ても良いように悔いのない毎日を過ごす義務が人間にはあるんですね。その幸せになる義務を放棄しないようにゴールテープを切った時に
『あぁ良い人生だったなあ』
と呟ける事が幸せなのではないでしょうか。
幸せの形なんて人それぞれかもしれませんがこのブログを書いてみて自分の中で幸せとは何なのかほんの少しだけ分かったような気がしました。
まだまだゴールは先でも明日がゴールの気持ちで大切に生きて行きたいものです。