小さい頃に比べて大人になると感動の回数が減る。
最近泣いたことはなんですか?
泣いた理由はなんですか?
それは悔しい涙だったのか、それとも嬉しい涙だったのか、感動をして涙を流したことを覚えていますか?
感動の濃度が薄まった気がする
僕自身感動はしやすいタイプでよく映画とか見て特に恋愛でなくても人との別れのシーンなんかがあったりするだけで感情移入してしまい涙を流すことが有ります。
別に涙を流すことが【感動】という訳ではありませんが涙はひとつの感動をしたという形として分かりやすいかなと思います。
しかし感動するという感情は小さい頃に比べて物凄く減った気がするのは自分だけでしょうか?
小さい頃はまだ経験が浅かったせいか色んなことについて感動をしていた気がします。
- 初めて逆上がりが出来るようになった時。
- ドラクエで倒せなかったブオーンを倒した時。
- かけっこで一等賞を取った時。
など様々な感動が人それぞれ記憶の奥底に眠っているのかと思います。
今考えたらなんでそこまで感動をしたのかわからないけど当時はそんな思いもよらないことがずっと心に残っています。
僕も小学生の頃に感じた忘れられない感動したエピソードがあります。
いつも隣の駅のスーパーまで母親と自転車を走らせ買い物に付いていました。秋口になり半袖が少し肌寒くなる季節。夕方になるとスーパーでは買い物客が沢山いてその中から母親は野菜やお肉などを選んではカゴに入れていきます。
僕自身はラムネ入りのおもちゃ(おもちゃ入のりラムネ)なんかを買って貰えないかワクワクしてました。
そのスーパーでお買い物が終わって出るとスーパーの前に焼き鳥の出店が出ていて煙がとても美味しそうな香りを醸し出しています。
今までもこの焼鳥屋さんは出店を出していましたが今日はこの煙に誘われてか母親が焼き鳥を初めて買ってくれました。小学校低学年の自分には初めての体験です。その場で焼いた焼き鳥をその場で食べる。
初めての焼き鳥は皮を頂きました。
その他にも、ももとかネギまとかも食べていたのかもしれませんが、その時の僕は初めての皮に物凄く感動をしました。
「何だこの美味しいものは?」
「この噛めば噛むほど柔らかい肉質、そして濃厚なタレと絡まって口の中で広がるジューシーさ。」
「今まで食べたことの無い感触!」
みたいな感情を理解できないまま、ただただ
「うめー」
「皮やべー」
「うめーな皮」
なんて位の語彙力で貪り食べ尽くしていました。
それ以降自分自身の中では好きな焼き鳥は皮一択!となっていました。
また買い物に付き合う時はあの焼き鳥買ってくれないかな?なんて焼き鳥をねだる小学生になっていたのを覚えています。
そんなにも好きだった焼き鳥の皮。
20歳を超えて仕事を初めてからは焼き鳥屋さんに行く機会も増えました。
そして焼き鳥屋さんで必ずと言っていいほど出る会話
「焼き鳥で何が好き?」
という問い。
そこには何も疑いを持たずに「皮っ!」と叫ぶくらい自分自身はまだまだ何も知らないひよっこでした。
しかし飲み会も増えて焼き鳥やさんに行く機会が増えだしてくると皮ばかり食べている訳ではなく他の串焼きも頼んでは食すのですが、1つここで気づきが生まれた理由です。
「あれ?ももとかネギまも美味くないか?」
「せせり梅肉とか反則過ぎるだろ。」
「ハツ最高。優勝。」
と、ほかの焼き鳥の味を覚えてしまったのです!
あんなに好きだった「皮」は今では自分からは頼まない部位となってしまいました。
食べたら美味しいですし好きなんですけどもうあの、小学生の頃食べた感動的な美味しさを再現することは出来なくなってしまいました。
それはとても悲しいこととも思います。しかしながら別の見方をしてみたら皮以外の焼き鳥の味を知れた、それ即ち経験値が増えたのではないかと自己分析して分かりました。
経験値が豊かになるとどういうことかというと皮美味しいから皮だけ食べるレベルからほかの焼き鳥も美味しいからほかも食べるという視野が広がった事となりますね。
それが少しづつ大人になるということなのかと。
経験値が増えると様々な見識を身につけ自分の中での常識というものを構築していきます。
この常識を打ち破る時こそまたそこに感動が生まれるものなのではないかと今では想えるわけです。
食べ物での感動は特にファーストインプレッションは物凄いです。
「初めてこんなに美味しいもの食べた!」
という感動を2回目にはやっぱり美味いよなとなり初回を上回ることが出来にくいのかと。
逆に言えば2回目の方が美味しい食べ物なんかがあれば決して忘れられない感動を味わえそうなので体験してみたいですね。
今は歳もとりたくさんの経験をしてきて昔の頃に比べて感動する機会が減った気がします。
それでも子供の頃のような純粋な気持ちを忘れず自分の足で感動する何かに出逢いたいと思っていおります。
沢山のことに感動出来る人は素晴らしい才能だと思います。
あの映画で感動した!
お店の心遣いに感動した!
スポーツを見ていて諦めない姿に感動した!
など、本当に些細なことでも感動できる感情の持ち主になりたいとも思うしそんな人が羨ましくも思えます。
なんにでも感動してしまう人はその才能を潰すことなくこれからも沢山の感動を受け豊かな人生を歩んで下さい。
荒木は久しぶりに皮でも食べようかな。