可愛いと美しいの相違に対する感情の考察
かわいいとは?
『かわいくなりたい!』
『かわいくなりたい!!』
『かわいくなりたい!!!』
『かわいくなりたいっ!!!!』
そう、女の子はいつだってかわいくなりたいという願望をもちあわせて生きているということを世の中の男性諸君に知って頂きたい。
女性のかわいくなりたいという気持ちは男性のかっこよくなりたいとは似て非なるものであり、全くの別物と考えてもらっても構わないのだ。
何故このかわいいという事にここまで女性は固執して取り憑かれるのか、また憧れを抱くのか。
その真理に達することは男性では到底無理なのかもしれない。
それほど女性の【かわいい】には奥が深く罪深いものでもある。
まずこのかわいいという言葉にはどれほどの意味があるだろうか。
- 顔がかわいい
- 笑顔がかわいい
- 目がかわいい
- えくぼがかわいい
- 唇がかわいい
- 八重歯がかわいい
- 髪型がかわいい
- 髪色がかわいい
- スタイルがいい
- 仕草がかわいい
などの外見的な要因の他にも
- 服かわいい
- 靴かわいい
- カバンかわいい
- 財布かわいい
- ポーチかわいい
- ネイルかわいい
- メイクかわいい
- マツエクかわいい
- アクセサリーかわいい
など自身につけるものや身に纏うものもかわいくなりたいという言葉の中に含まれているのである。
なぜ女の子はいつでも『かわいい』を求めているのだろうか?
それは単純に異性にモテるためでもなく、周りからかわいいと言われるためだけではない自分への納得に似た何かなのかと思う。
かわいいとは理想で在るべき存在。
そう、【かわいい】は哲学となりつつあるである。
実際にかわいいという文化とはやがて日本発の【kawaii】へと変わっていき世界基準になってきているのである。
世界の女性までもが日本初の【kawaii】の虜になっているのである。
このなんでも使える【かわいい】について考える時には対義語とは行かずとも似ているけど決定的に違う言葉について考える必要がある。
その言葉も女性の憧れであり目指していくものである。
【美しい】
である。
かわいいと美しいの違い
【かわいい】と【美しい】このふたつの言葉のイメージする対比や類似点はどのようなものがあるのだろうか。
私自身のイメージを述べてみた。
- かわいいは親しみやすい
- 美しいは近寄り難い
これはイメージだが仕草や顔が可愛い子は誰からも愛されていて、また手の届きそうな女性像である。
親近感がわき一緒にいて楽しく守ってあげたくなるような女の子。
それがかわいい女の子。
また美しいというのは高嶺の花であり自分なんかは手の届かないような圧倒的オーラをかもし出している美女。
近寄り難い雰囲気は神々しさの故か自ら膝まづいて拝みたくなるよう美しさ。
それが美しい女性。
- かわいい女の子
- 美しい女性
かわいいとは『女の子』と言いたくなる。
かわいい女性とも言えるがしっくりくるのは女の子と呼称した方だ。
ここでは可愛さには幼児的なイメージがあると感じられる。
生まれたての赤ちゃんが可愛いのと同じようにかわいい女の子とは少し幼さを帯びていて守ってあげたくなるようなか弱さを感じられる。
一方美しい女の子と言うよりは美しい『女性』と呼んだほうがしっくり来るのも納得がいくものではなかろうか。
美しい女性というものは自立していて凛としている。
幼児らしさを感じたかわいいよりも大人としての魅力を感じさせるのが美しいではなかろうか。
- かわいいは丸い
- 美しいはシャープ
こちらはアニメーションやマンガなどを見てみるとよりわかりやすいのかもしれない。
1頭身や2頭身などのキャラクターはとてもかわいく描かれているのである。
星のカービィやサンリオのキャラクターなどは短い等身に丸みを帯びているフォルムやシルエットをしているためとても可愛い。
また美しいキャラクターというものは大抵、人の形をしたものや丸みを削ぎ落とされシャープになっているのではないか。
猫のような動物でも丸みがあると
【かわいい猫】
シャープにしなやかなラインだと
【美しい猫】
のように分類されると思います。
- かわいいは未完
- 美しいは完成形
1番の違いはここにあるのではないか。
かわいい子などの共通点に先程親しみやすいと書いたのだがそれはなぜ親しみやすいのか?
どこかいい所も悪い所も見えるからではないか。
それは性格であったりするかもしれないし見た目なのかもしれない。
しかしその悪いところもギャップとして可愛く見せられる点がかわいい子の最大の魅力ではないだろうか。
例を上げてみると
いつも明るく元気に振舞っていてだれからも愛されているけど青梅と青海を間違えて集合してしまうようなドジをしちゃう子。
→こんなドジをしても愛されてかわいい子だと許されたりしちゃうんですよね。
いつも笑顔で歌も上手くて顔もかわいくてスタイルもいいけど八重歯のままの元℃-uteの鈴木愛理。
→鈴木愛理は歯列矯正を絶対にできたはずなのにしなかったということはその不完全さえも魅力にしようとしたのではないか。
(八重歯は僕の中では美しい状態の歯並びではないと思うが、それ自身チャームポイントになっていると思うので八重歯を否定しているわけではありません。)
このように完全でもなく完璧ではないけどその不完全さ、すなわち『未完』の部分がある事が魅力になる。
それがかわいいという最大の魅力では無いだろうか。
逆に美しいというのは近寄りにくいというのも納得が行く。
なぜ近寄りにくくなるのかというと、完璧過ぎて隙が全くと言っていいほど見えないのである。
人は誰しも劣等感やコンプレックスを抱えて生きている。
相手にそのコンプレックスがないように見えるとその人に対して尊敬や憧れを持ち、自分もそのようになりたいという気持ちを持ちつつも心のどこかでは
『ああ.......この人にはなれないな』
と無理だなと諦めてしまうことが多いのだ。
それほど完璧であり完成形。
唯一無二であり絶対神。
欠点などひとつも許されない状態であるのが【美しい】というものではなかろうか。
まとめ
【かわいい】と【美しい】どちらもキレイだったりキュートだったりチャーミングな意味を持つこのふたつの言葉。
その2つの相違点としてあげられるたなかで、も1番の違いが
- 完全に満たされないが魅力的な未完な状態
- 完全に満たされていて魅力的な完璧な状態
ということではなかろうが。
どちらがいいと言う話ではなくどちらも良いのである。
美しさには偶像崇拝したくなるような完全さを持っている。
世界の美女ランキングに載っている芸能人の方々などやミス・ユニバースなどのようなコンテストはこの美しさを評価しているのであろう。
もちろん美しい状態にも個人差はあるだろうし何を持って美しいかまた美しくないかなどは人の価値観によって違うものである。
ただ万人が美しいという状態が美しいのであろう。
その反面かわいいとは完全ではなく『未完』の美しさとも言うべきであろうか。
この『未完』であることが、チャーミングに見えてその人のアイデンティティを作り上げているのではないか。
人はコンプレックスは絶対に持っています。
しかしそのコンプレックスを受けいれ自分の、強みに変えられることが出来た人のことを愛される人と呼ぶのではないだろうか?
未完な状態であるが故の魅力。
それこそが本当のかわいさなのかもしれない。
だから人は誰しも完璧にはなれなくてもかわいく魅力的にはなれるのです。
自分の未完な状態を受けいれそれを個性とし、
人からも愛されるようなかわいい人になれると僕は信じてやまないのです。
※この【かわいい】と【美しい】の相違点は個人的見解なので、これが全てではないですし正しいというわけではございません。
いち美容師として僕の思いを書き綴りました。